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385 インタビュー

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Filed under 385

ここは地獄か天国か?
破壊から生まれたカオスワールド




385のライブを体験した。「みなさんこんばんわ385です。」かわいい声で現れたのは知る人ぞ知る元BLEACHのBass、MIYA。この力の抜けるような声に膝カックンされた人もいると思う。しかしかわいい挨拶に似合わないほどの激しいスラップベースで会場の空気を一瞬にしてぶっ壊す。かわいい女の子は何かに取り憑かれたかのように首をブンブン振りドスの効いた声で叫び散らす。激しいベースラインと暴れるリズムに顔色変えず正確に合わすドラム。そこに蝶のように舞い蜂のように刺すキーボードが絡みつく。わけのわからない音に客は圧倒されながらもわけもわからず暴れ踊るだけだった。385は県外で活動の拠点を移し2010年6月、大阪のこれまたカオスなバンド『ミドリ』のVo.& Gt.後藤まりこが主催するレーベル『HAKAI ミュージック』に所属。2010年8月にはファーストアルバム「脳みそあらおう」でデビューを飾った。今回は破壊活動に余念のない385のMIYAに恐る恐るコメントを頂いた。

【385のルーツ】
—『385』というバンドの名前はどこからきたのですか?由来を教えてください。
MIYA 「3と5と8は宇宙的に良い数字だと言われていて、その三つの数字をTENGANさんに言われて言葉の響きの良い順番にしてみました。またコーラの冷蔵庫にC-385というのがあると天願さんが言うてました。外国人のお客さんに「SOME FUCKIN’ GO」と間違われました。」
—バンドメンバーとはどのように出会ったのですか?
MIYA 「浦添市のグルーブというライブハウスで発見しました。私もTENGANさんも人見知りなので、友達になるのに、約1年かかりました。」
—ライブ中もくもくとドラムを叩いているTENGANさんはどんな方ですか?
MIYA 「ドラムが大好きな寡黙な方です。この人の素晴らしいドラムが、このバンドを始めるきっかけになりました。」
—ピアノをガンガン叩いてるJUNさんはどんな方ですか?
MIYA 「とっても優しい性格の素敵なキーボード弾きの若者です。ちなみに三味線も得意です。」
—ミヤさんが影響をうけたベーシストはいらっしゃいますか?
MIYA 「COCOBATのTAKESHITさん。大好きなMichael Jacksonの「スリラー」でも弾いているスラップ・ベースの創始者のLouis Johnsonさん。この二人に多大な影響をうけています。」
—ハードコアやファンクやプログレを盛り込んだサウンドは意図的に作ろうとしてできたのでしょうか?それともセッションなどをしてできあがったのでしょうか?
MIYA 「元々スラップ・ベースをいかしたバンドサウンドを狙っていたのですが、メンバーそれぞれいろんな音楽が好きなので、スタジオで曲作りしてると自然にいろんな要素が混じり合ってきます。」

ミドリと破壊と脳みそ
—『ミドリ』後藤マリコさんとの出会いを教えてください。
MIYA 「BLEACHというバンドの時に出会って、お互い人見知りなので、仲良しではなかったのですが、沖縄から東京に出て来て再会してからは、プライベートでも凄くお世話になっています。」
—HAKAI ミュージックと385、ベストマッチな関係だと思いますがレーベルに入られた今の気持ちはどうですか?
MIYA 「とても嬉しいです。これからもっと頑張らなくてはと思っています。HAKAI ミュージックという名前は、まりこさんにつけてもらいました。」
—アルバム『脳みそあらおう』についてですが、完成した感想はどうですか?
MIYA 「とても感動しました、CDが出せるようになるまでに色々なことがあったので、まりこちゃんと先祖にとっても感謝しています!」
—ジャケットの絵(浮世絵の象?)はなんでしょうか?
MIYA 「圧倒的な感じを出したくて、大好きな北斎の強烈な象の浮世絵を使いました!」
—385にとって破壊とはなんでしょうか?
MIYA 「新しい自分に会えるキッカケです。是非、385のCDを聴いて見て下さい。」

 
「脳みそあらおう」 

HMUK-001  1,575円(税込)

 収録曲
  1.行動
  2.鼓膜クレイジー
  3.脳みそあらおう
  4.みんな同じ顔
  5.お正月
  6.マサカリ



ライブを見終わった後、385の純粋な破壊力に驚き興奮した。その破壊力の源は愛想笑いが上手な世間に対する怒り、そして己に対する失望と絶望からの怒りなのだろうか。自分の脳では処理できない音にモウロウとしながらも「大変なモノを見てしまった!自分も何かしなくては!」とチムワサワサー(胸騒ぎ)した。アルバム『脳みそあらおう』1曲目の『行動』のように押さえきれない衝動に駆られる。まさに385に脳みそをあらわれてしまった。現在385は東京で活動しているため直接インタビューすることができなかったが残念でならない。沖縄でライブがあった際は破壊してくれたことにお礼を言いたい。これを読んでいるあなたも
ぜひライブを見て脳みその隅から隅までキレイに洗ってもらいましょう。そして自分の脳みその汚れに気づいていただければ幸いです。 

 


385

プロフィール
さんはちご。MIYA(B,Vo)、TENGAN(Dr)、JUN(Key)のスリーピースバンド。2008年、元BLEACHのMIYAが沖縄で結成。2010年8月1st ミニアルバムをミドリの後藤まりこが主宰するHAKAI ミュージックの第一弾としてリリース。9月からレコ発ツアースタート!
 


 

 

かぐやひも インタビュー

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追い詰めないし、無理もしない、至ってマイペースで…
生活の一部と化したバンド活動、15年目に何を望む?




いやぁ〜、正直まいった。予め用意していた質問はさらりと交わされ、ことごとく撃沈、完敗である。今年でバンド結成15年目を迎えた、かぐやひも。これだけ長く活動を続けていれば否応にも紆余曲折あったでは?…と勝手に詮索していたが、それはインタビュー後、大きく覆された。CDを売って名をはせたい? 大きなハコでガンガンライブをしたい? 幅広い世代にウケる歌を届けたい? いやいや、そんなこと全くもって論外である。ただ純粋に自分たちの音楽を見つめながら、楽しく、面白く、そして気負いなく…。活動を続けていたら15年が経った…、ただそれだけの話である。しかし裏を返せば、その時々の状況にあわせてバンドの立ち位置を把握して、けれど音楽のみに固執せず、さまざまなことを視野に入れ柔軟に行動してきたのではなかろうか。そんな彼らが今年4月に15周年記念アルバム『Okinawa Jump』をリリース。今作と併せて、かぐやひもの活動をほんの少し紐解いてみる。

【かぐやひもの15年目を振り返る】
—今年結成15周年おめでとうございます。
メンバー全員 「ありがとうございます」
—この15年間という活動はかぐやひもにとって長かったですか? それともあっという間で短かったのでしょうか?
南こっせつ 「そうですね…、短い? あっという間だったっていう気はしますけど…。昔の写真とか見ると、確実に時は流れたんだなぁって思いますね(笑)。でもまぁ、15年っていっても沖縄ではバンド歴は短い方に入るんじゃないかな。その間にはメンバーチェンジも何度かあって…。(にせ正三・さらまわしの2人を指さして)もともとのオリジナルメンバーはこの3人で、ほかのふたりは途中からの参加で。活動っていうことを振り返ると、毎月最終土曜日には定期ライブがあって、今日6月26日時点で177回目になりました」
にせ正三 「そんなにやったんだぁ(笑)」
—あっという間でも、バンドとして十何年継続して、モチベーションも保ってというのは容易なことではないと思うのですが…。
南こっせつ 「そんな、あんまり深くは考えていないのかも(笑)。逆に追い詰めないし、でも自然と生活の一部にはなっているし…。みんなそれぞれ別の仕事をしながらなんですけど。無理をしていないことが、かえっていいのかもしれません(笑)」



【酔ing初ライブとバンド結成秘話】
—かぐやひも結成後、最初に演奏されたライブハウスは酔ingだったそうですが、ライブの印象って覚えていますか?
南こっせつ 「あれはD-setをオープンする2カ月前くらいで、やれるところを探していて。他のバンドとしては酔ingでは何度か演っていて。その時はオリジナルメンバーは5名で…」
ソーミン 「で、私はお客さんとして来ていました」
南こっせつ 「あの時はねぇ、怒られたよね(笑)。ばっちり3ステージやりまして。楽しくて、なかなか終われなくて。2ステージで予定曲も全部終わったんだけど、そのあともステージにあがって。こう、♪ジャンジャカジャンジャン、バンバ〜ン♪♪って感じで展開状態になって、そのうち酔ingの方から“すいませんが、そろそろ引き上げてくれませんか? ”って言われてしまって(爆笑)、最後は追い出されてしまいました」
—結成してからステージで演奏するまで、どのくらいの準備期間だったんですか?
南こっせつ 「すぐだよね? すぐ。元々かぐやひも以前から別のバンドをやってたから、メンバーそれぞれ。最初は遊びで作ったバンドで、前のバンドの休憩時間にやるようになって。やったら意外にもウケたもんで、どうしようかってことになって。結局、前のバンドを解散して、かぐやひもが残っているという(笑)」
—遊びで始めた活動が15年…率直に凄いなぁって思います。
南こっせつ 「うん。まずは演る場所と…まぁ僕が演るところを作ったけど。あとはライブを観に来てくれるお客さんがいるということですね。そこで初めてバンドを続けていけるんだと思います」
—お客さんも昔馴染みの方から、新しくファンになった方までいろいろ変化もあったと思いますが。ファンと一緒にバンドも成長したぞ! みたいなものっていうのは…。
南こっせつ 「成長は……していない(笑)。昔ライブに来ていた小さな子が高校生になったっていう成長はありますけど。自分たちの成長? …逆に曲、全然変わらんねぇ〜ってお客さんから言われる(笑)」
—(笑)…ちょっと残念な話ですね。今のは聞かなかったことにして(笑)…。ところで、ライブで演奏するレパートリーは何曲くらいあるんですか?
南こっせつ 「カバー・オリジナル合わせて数百曲くらいかな。1回やって演ってやらなくなったのもあわせると。ここD-set Cafeでは2ステージ構成で演っていて、1回目は自分たちで選曲して、2回目はお客様からのリクエストで、ホントにいろんなお客さんが来るので、それに応えるためにもいろいろです」



【“かぐやひも”と“かぐや姫”の師弟関係】
—ここで敢えてお伺いしますが、「かぐやひも」というバンド。メンバー自身では客観的にみて、どんなバンドっていえますか。
南こっせつ 「……う〜ん。まぁ、フォークソングはもちろん好きで、『動物のうた』とか知っている人がたくさんいると思うので、コミックバンド系? っていう人も多いと思いますけど(失笑)。でもそれだけではなくて、ほかにも真面目な曲もたくさんあるので! ただ、脚光を浴びないだけで!!(爆笑)…。なんかなぁ、一応自分たちでは、真面目に演ってます」
—ある話を耳にしまして。かぐやひもの本家? となる“かぐや姫”さんから、ちゃんとした公認を受けたと聞いたのですが、実際それは本当ですか?
にせ正三 「そうですね。ちゃんと文章にして、きちんと書類で残してあります(笑) 。書類にサインをいただくのに、結成してから5年くらいかかりました。こういうバンドが沖縄にもいるよ! っていうのを、本人たちに知っていただきたくて…ただそれだけの気持ちでした」
南こっせつ 「お願いをしたら本人たちも快く、とても良くしてくれて。ライブに出演させてもらったり…。南こうせつさんや山田パンダさんとは、沖縄に来た時に一緒に演奏したりしましたし、15周年の国立劇場でのコンサートの時にもメッセージをいただいて。嬉しいですね」



【15周年記念アルバム『Okinawan Jump』】
—2005年に発表された1stアルバム『フォークランチョンビート』は、結成10年目にしてやっと出たというか、待望のアルバムだったと思われますが。もう少し早くにだそうとか考えてなかったんでしょうか?
南こっせつ 「経済的な理由と(爆笑)…、そんなにオリジナルも無かったしね。カバー曲を覚えて演奏するだけでも大変でしたしね。……僕たちにオリジナルを求めているお客さんも、そういないじゃないですかねぇ(笑)」
にせ正三 「まぁあれはね、バンド10周年だからっていうことで」

—聴いた印象としては、全曲雰囲気が違うというかバリエーション豊かというか。バンドの振り幅の広さを凄く感じました。今作品を作るにあたって、初アルバムだしバンドカラーを打ち出そう! とかいうコンセプトは?
南こっせつ
「ライブでもいろんな曲を演っているから。ねっ(他のメンバーに確認)。まぁでも、バンドのカラーをだそうとか、コンセプトとかは考えなかったな(笑)。取りあえず、アルバム作るならオリジナルを12曲作らんとなって感じで(爆笑)。ほんと、10周年の記念というか。ライブで演っている曲ももちろんありますけど、そのなかから12曲を選曲するっていうのはなくて。『動物のうた』は求められたけど…そんな感じです」
—ほとんどは書き下ろしの曲で…だけど、コンセプトとかはなくて10周年記念のCD?
南こっせつ 「うん、そうですね。10周年だから記念にということです」
—今年4月にリリースされた2ndアルバム『Okinawa Jump』。これも1st同様に15周年の記念アルバムとして、メンバーみなさん曲を作らなきゃ! って感じだったのですか?
南こっせつ 「そうですね」
山田パンサー 「僕は1stには参加していないんですけど。2ndアルバムに関しては取り合えずバンドでCDを作るからってことで、じゃあ何曲か作ろうかって話で、スタジオに持ってきて、録音は自宅で行いました」
さらまわし 「僕の曲は結局ボツになってしまったんですが(苦笑)、家で打ち込みをして作って…。まぁ普段、あまり曲を作ったことがないので、何年ぶりかで作ってっていう。感想を言えば、難しかったなぁってことですね」
ソーミン 「前回のアルバムとはまた違ってパソコンでの作業だったので、時間が無いのにもかかわらずふたりに(山田パンサー・南こっせつ)大迷惑をかけながら、やっと仕上げたという(失笑)。ふたりがいなければボツでした。作詞・作曲の作業っていうのはその時その時の一番の気持ちを歌っていて。あと今回は、可愛く可愛くですね(照笑)。…あのー、なんていうんだろう…怖い歌い方っていうのが自分のなかにあるので、今回は出来るだけ可愛く…」
南こっせつ 「ぶりっこ? 」
ソーミン 「そう、ぶりっこして(笑)」
にせ正三 「1stも2曲、今回も2曲出してるんですけど。1stの時に、ああやれば良かったとか、こうやれば良かったとか。いろいろ自分のなかに不満点とかあったので、今度作る時は自分でも納得のできるものを作ろうと思って。実は2〜3年くらい前からちょっとずつ自分のなかで素材を集めてて、それで今回は臨みました。前回に比べてある程度納得のいく作品になったと自分では思っています」
南こっせつ 「15周年記念のアルバムだったので、メンバー5人の曲を入れる予定だったんですけど、どうしても時間との戦いもあったので…。レコーディングの時点で実は発売日が既に決まっていて、国立劇場のコンサートの時にと。なので、どうしても間に合わない部分とかもあって…」
—レコーディング期間って非常に短かったのですか?
南こっせつ 「1か月くらい…? ここD-set Cafeで録るんですけど…痩せるぐらい(失笑)。一人を除いて(といってソーミンさんを見る)…(笑)。まぁ、なんやかんやホントに、スタジオ入りの時間もみんなバラバラで、それぞれ仕事もっているので。でも、今自分たちでできる最高のものを作ろうと思って、これ以上は出来ないはず、今は。間違いなくベストを尽くしたアルバムです! 」



【進化しつづける『動物のうた』の裏ネタ】
—1stに入っていた『動物のうた』は、今作品でも新たに2010年バージョンとしてリメイクされて収録していますね。曲もそうですが歌詞もだいぶ変化して…。動物が増えていたり、ラストのフレーズ? あれはカットされていましたね。
メンバー全員 「(大爆笑)」
ソーミン 「セミの…」
南こっせつ 「あぁ、♪セミにBBつけて爆破しないでね〜♪♪ってやつですね(笑)。もう3回目のCD化なんで、歌詞もだんだん進化していくんです。面白くないものはね、消えていくんです」
山田パンサー 「ライブは演奏がもっと長いよね。8分〜10分くらい…」
南こっせつ 「はい、ウケたらずっと歌ってます! けどウケなかったら直ぐ終わります。CDではめっちゃ短くしてて…。ラジオでオンエアーできるのって普通3分くらいじゃないですか。それでもギリギリ…」
—ライブではロングバージョンがもれなく聴けますか(笑)。
南こっせつ 「(笑)もちろん、もちろん。CDは面白くないっ! 」
メンバー全員 「(大爆笑)」
—(笑)ズバッと言い切ってしまいますか。これ裏ネタっぽいですね。
南こっせつ 「(笑)CDはなんも面白くない!! いやいや、ホントホント。ライブに来るお客さんにもよくCD聴いたけど面白くないって言われるし(失笑)。……まぁでもCDはCDでね、一生懸命作ったので。でも、そんな反応も面白いですよ」
—それと、1曲目の『Okinawa Jump』。個人的には今作品のなかでこの曲が一番好きです。アルバムタイトルにもなっていますが、一押しってことですか?
南こっせつ 「2〜3年くらい前からライブでは歌われていて、反響の良かった歌なんですけど。『動物のうた』に変わる代表曲になったらいいなっていう…そういう気持ちはありますね」



【今年はひと味違うメンバーのやる気に期待! 】
—これから夏に向けてライブハウスだけでなく、イベントにも続々と参加決定されていますが。今後の活動への意気込みを。
南こっせつ 「これまでどおりマイペースで、みんないい年なんでね(笑)。あまり無理しない程度に。まぁ、今年は15周年なんで、力入れてやろうと思ってます。でもハイペースにならないように」
にせ正三 「今までのペースで普通にやっていくんですけども、15周年っていうこともあるので。ちょっといつもより頑張ろうかなって気は珍しくあります(笑)。今年は頑張ります、はい」
ソーミン 「もちろんマイペースが一番。あとお客さんと一緒に自分も楽しんで元気いっぱいもらって。でも最近、身体のようにだんだん気持ちが緩んで来ているので、引き締めていきたいなと思います! 」
さらまわし 「始めた頃はまだ20代だったんですけど、ついに40歳を越しまして。マイペースもそのとおりですけど、今年はバンドのなかでのドラムとか自分が歌う曲とか、もうちょっと考えて、オリジナルも増やしたいなっていうものあります。力をいれてやってみようと思ってます」
山田パンサー 「俺はバンドに加入してまだ1年半くらいなんですけど。この1年半毎回新しい笑いがあって、けっこう自分ではハイペースで来ていて。演奏に関してはやってきたのもあるけど、徐々にレベルアップしていけたらいいかなって思います。お客さんとの掛け合いっていうか、いい関係も作って。今までもいろんなバンドとセッションしてきたんですが、なかなか無いです、こういうバンド」
—この先、20年、25年とずっと続けてもらって(笑)。
南こっせつ
「もうすぐ活躍の場を老人ホームへ移すと思いますが(笑)。その時は僕たちも老人です!! 」

【楽しい大人の遊び方byかぐやひも】
—(笑)。では最後に、メンバーを代表して南さんから読者へメッセージを。
南こっせつ 「そんなにギラギラしていないバンドですけど(大爆笑)…、継続は力なり。まぁ、バンドってやっぱりヘタクソでも何年間かやっていたら、そのバンドの音って出てくるじゃないですか。それをホントに大切に。あと、若い人たちへ大人になっても、こんな楽しみ方している人がいるんだよーっていうのを分かってほしいね。みんな仕事しながらでもちゃんと楽しみを見つけてほしいし、好きなことを続けられる人もいるから、あきらめないでちょーだい! 」



この日の撮影・取材は、かぐやひものホームグランドでもある国際通り沿いのD-set Cafeにて行われた。当日、毎月最終土曜日に開催する彼らの定期ライブ「かぐやひもFolk Live♯177」が控えているということもあって、慌ただしいリハーサルの合間をぬって快くインタビューに応じてくれたメンバー。会話のなかで南こっせつさんが『動物のうた』のヒットによって多くの人が、かぐやひもに対してコミックバンド的なイメージがあるようだと語っていたが、勿論、かぐやひもはコミックだけではない。それはあくまで、彼らの音楽性の一片というだけであって、1stや2ndアルバムを聴く限り、少なくともコミックバンドというイメージは無いに等しいだろう。『動物のうた』のヒットは喜ばしいことだが、そのことで埋もれてしまっている彼らの他の秀作にも耳を傾けてほしいと切に願う。かぐやひもを知っている人も知らない人も、まずはCDを聴くことから始めてみてはどうだろうか。



かぐやひも

プロフィール
かぐやひも。南こっせつ(Vo,G)、にせ正三(Vo,G)、山田パンサー(Vo,B)、ソーミン(Vo,Key) 、さらまわし(Vo,Dr)の5名編成。ホームグランドであるD-set Cafeを拠点に活動中、今年結成15周年を迎え、去る4月に行われた国立劇場おきなわでのライブと併せて、2ndアルバム『Okinawa Jump』を発表。収録曲『君と青空』はFM沖縄、ROK、RBCにてラジオCMに起用され現在ON AIR中。








BREMEN “エリー”インタビュー

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Filed under BREMEN

自分たちも聴いてる人たちも気持ち良く
ライブでの一体感を大切にしたい




テクノだけど難しくない、テケテケだけど爽やか。なのでもちろん男子だけじゃなく女の子のファンも多い、ダンスロックバンドBREMEN。何よりも沖縄出身のエリーの歌声が気持ち良く、「沖縄の広い空と大きな海に囲まれて育った子のはず」と勝手に思い込んでしまっている。そんなエリー率いるBREMENのツアー真っ最中の6月某日。沖縄は梅雨明け間近だというのに、梅雨入りしたてで大雨の関西でエリーをキャッチ。BREMEN結成当時の話から4月リリースの新曲、さらには現在制作中の新譜について話を聞いた。インタビュー中、エリーの意外な真実が明らかに!!

【BREMEN結成】
― 結成のきっかけは?
エリー 出身地が全然ばらばらなんです。私は沖縄、ハイオカが横浜、コージローが北海道で、それぞれが大学で関東に出てきていて、インカレ(インターカレッジ)って要は飲み仲間なんですけど(笑)。ハイオカはもともとDJをしていて、レストランバーとかで回していました。その頃コージローは学生ながらに店長をしていて、その店でハイオカが回してる時に私がたまたま遊びに行ったのが3人が出会った最初です。で、ハイオカが琉球アンダーグラウンドの『花(原曲は喜納昌吉氏)』をかけていた時に「お前歌ってみろよ」ってマイクを渡されて、花を歌ったのがきっかけですね。「あぁ、いいなぁ」って思ってもらったみたいで(笑)。その頃丁度ハイオカはテクノで女性ボーカルという編成のバンドを始めようと考えていて、私の歌を聞いて「これだーー」ってビビッと来たみたいです。コージローも何か新しいことを始めたいと思っていた時だったので、じゃあ3人でやろうということになりました。
― 結成後はすぐに活動を始めたんですか?
エリー そうですね。楽曲制作しつつ、都内を中心にライブ活動をしていました。始めた時にはお互いの音楽歴とか全く知らず、と思ったら実は3人とも高校時代からバンド活動をしていて、コージローもギター、ボーカルをやっていたということがわかったので、打ち込みだけじゃなくギターを入れたりとか試行錯誤しながら、ライブ活動を続けていました。
― エリーさんも学生時代に沖縄でバンド活動をしていたんですよね?
エリー そうですね。中3からやっていました。高校生の時には浦添のてだこフェスティバルとかのチャリティーイベントにも出させてもらったりしました。
― そのバンドはテクノではないんですよね?
エリー はい、そのバンドはテクノではなかったです。打ち込みの音楽でもなくてロックバンドをしていて。
― ギャップや違和感は感じませんでしたか?
エリー 最初の頃はあったんですけど、でも「自由に歌ってくれ」っていうのが元々あったので、自分としても音色も真新しかったし、その中で自由に歌っていいんだぁって思って。本当に何も考えずに伸び伸び歌わせてくれるならやります、みたいな。だから、そこに関してはそんなに抵抗はなかったです。テクノって一定のリズムでありながらもグルーヴってどんどん変わるので、煩わしいとか難しいとか思ったことはないですね。
― エリーさん凄く気持ち良さそうに歌ってますよね。
エリー ははは(笑)。ありがとうございます。そうですねー、気持ちいいですよ。はい。最近はライブをやっていく上で、ここでもうちょっと生音が欲しいねってなった場合に、サポートでドラマーを入れています。生音が入るとこっちもテンション上がるので。

【ライブは化学反応】
― エリーさんちなみに大学では何を?
エリー 工業大学なんですけど。
― 工業大学?! 理系じゃないですか!
エリー そうなんですよー(笑)。めちゃめちゃ理系なんですよね。化学をやっていて。うちのふたりがむしろ文系で。沖縄にいた頃は英語科だったんですけど。
― なぜ化学を専攻?
エリー 「二酸化マンガンに過酸化水素水を足すと」って文字ではすごく冷静に書いてあるのに、実験してみると凄い発熱したりとか、煙が出たりとか、色が変わったりとか、そういう見ないと分からないようなことが化学って起きるので、そういうところが面白いなぁって。だから実験がしたくて化学科に進んだんですね。でもそれって、今やってる音楽とも近いなぁって思ってて。ライブやっても、同じ曲やっても、ライブごとに違ったりとか、色んな反応が足される感じっていうのは凄く近いと思っています。

【新曲「When I grow up」について】
― どんな作品に仕上がってますか?
エリー この曲は去年できたんですけど、これができた時には、まだぜんぜんリリースとか決まっていませんでした。とにかく去年は「ライブをしよう」という意気込みの年だったので。今までの曲って、新譜を作る時は曲を作って、それをライブで披露するという形だったんですけど、今回の曲はライブをやりながら盛り上がる曲だったり、ライブで「グォーッ」ってなる曲を作りたいねって話になってできた作品ですね。だから、凄く今までよりもライブというものと音源というものの距離が近い作品になっています。今まではレコーディングで曲の世界ってものの方を大切にしてたんですけど、でも今回はライブでやったらどうなるかなとか、ライブでこうしたいなっていうのが入っているので、歌もより伸び伸びと歌っている曲になっていますね。
― 屋外のライブでも気持ち良さそうですよね。
エリー そう、そうなんですよねー。私達も浮かべる景色は野外ですね。When Iもそうだけど、4曲目のPhantom of a dreamも草原がぶわっと浮かぶ感じです。そういう意味では沖縄と合うと思う。結構「BREMENの曲ってドライブに合うねー」って言ってもらえたりするんですけど、今回も車とかで聞いて欲しいなぁって思います。沖縄って車社会だし。

【今後の活動内容】
― 今後のリリース予定は?
エリー 秋口に新譜をリリースしようと思っています。その制作もしつつ、ライブもしつつ。
― どんな曲になりそうですか?
エリー 今後もライブ主体というスタイルは変えず、ライブで盛り上がれる曲だったりライブで一体になれる曲だったり。そういう、自分たちが気持ち良くなって周りも気持ち良くなれるような一体感のある作品になったらいいなぁと思っています。
― そろそろツアーも終盤ですが。
エリー そうですね。今回の曲を持ってツアーに出てるんですけど、毎回毎回見え方がどんどん変わってて、1曲1曲もこんなにやるごとに熟成されるんだなぁって感じています。で、そういうのが今後もどんどんできていくんだと思うし、もっともっと回りたいんです。だから沖縄も行きたいんですよね。
― 是非! 是非とも! ちなみにMITSUBOSHI(ライブの名前)ってどういう意味なんですか?
エリー 三ツ星レストランのように、本当においしいものを提供していきたい、と思って。そうしたら、たまたまBREMENのメンバーも3人だし、3にこだわってスリーマンイベントにしようって事になりました。ライブで一緒にやる2組のバンドも自分たちが実際に見に行ったバンドだったり、自分たちがいいなと思って選んだバンドだけを呼んでやっているので、自信をもってお届けできるイベントだし、一緒に楽しめるものにしていきたいと思っています。今回の「MITSUBOSHI♯5」はツアーを一緒に周ったhare-brained unityとGARIをゲスト迎えて7月19日渋谷O-nestにて開催します。あと、7月17日にはAUDIOという東京の晴海ふ頭で行われる野外フェスにも出演します。ライブの情報はホームページにUpしてますので、よかったらチェックしてみてください。
― エリーさんはBREMEN以外の方の作品にも参加していらっしゃいますが。
エリー そうですね。BEAT CRUSADERSさんのフェスに参加させてもらったり、ウルフルズのドラマーのサンコンJr.さんがやっているイベントにもゲストで出させてもらいました。他の人とやるのは全然違うし、やってる音楽も全く違うので、それはそれで楽しいです。その楽しさを一回自分の中に落とし込んで、BREMENで還元しようって思ってます。もっと色んなことがやりたいですねー。BREMENでできる音楽に関しても、もっと新しいモノが見たいし、どんどんどんどん進みたいなって気持ちです。
― これからのBREMENは?
エリー いい意味で、「BREMENってこんなカラーだよね」っていうのを今はあんまり欲してなくて、「こんなこともやるんだBREMEN」って思ってもらいたいです。また新しいことが起きそうで、何が起るんだろうなっていう風にどんどんやっていきたいですね。反応度数を起こしたいっていう。
― やっぱり化学ですね。
エリー (笑)。そうですねー。

【ファンへのメッセージ】
― ファンへのメッセージをお願いします。
エリー 沖縄でライブを出来たらと思っていますので、近いうちに行きたいと思っています。それまでは今回の新譜を聴いてもらって、車で聞いたりとか、普段の生活でBREMENに馴染んでもらって、もっと身近な音楽として聴いて欲しいです。ライブでは一緒に大騒ぎしましょう!



エリーは「BREMENは晴れバンドなんで、ライブは結構晴れることが多い」と笑った。実際晴れることも多いのであろうが、たとえ雨でもBREMENのライブがすっきり爽快な気持ちにさせてくれるので、天気のことなんかどうでもよくなってしまうというのも晴れバンドと言われる所以ではないだろうか。彼女らはきっとこれからも周りを巻き込んで化学反応を続け、型にハマることなくキャパシティの大きなバンドとして知る人ぞ知る存在になっていくのであろう。いつか、沖縄の野外ライブでBREMENの音楽が聴きたい。それまではドライブのお供で我慢するとして、エリーさん、沖縄凱旋ライブ待ってますよ!



BREMEN

プロフィール
2004年結成。ハイオカ(横浜出身)、エリー(沖縄出身)、コージロー(北海道出身)の3人によるダンスロックバンド。テクノサウンドをベースに、ポップなメロディと伸びのあるエリーのボーカル、メッセージ性の強い歌詞が見事に調和し、ジャンルを超えて多くの人に支持されている。2010年4月には約1年半ぶりとなる新曲を発表。











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RYCOMEインタビュー

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Filed under RYCOME

子どもの頃いっしょに見た夢を
今、ふたりで現実のものに



沖縄出身で女の子のボーカルとDJ2人組という新しいスタイルのユニットRYCOME。ma-miの透き通るようなやわらかい歌声と、DJ Jackyの音楽的センスが合わさって、新しい沖縄音楽の可能性を感じさせるサウンドになっている。強い意志を感じさせる真っすぐな瞳が印象的なma-miは、第33代名護さくらの女王としても活躍し、県内では知る人ぞ知る存在。また、DJ Jackyは高校生の頃からDJとして活動し、周りは男性ばかりという熾烈な競争が繰り広げられる世界で腕を磨いてきた。そんな2人が2008年7月にユニットを結成、2009年12月に「戀-koi-」でデビューした彼女たちであるが、セカンドシングルにして「夏色」が早くもブルーシールアイスクリームのタイアップ曲に決定!今回は、ふたりともが大好きだというブルーシールアイスクリームを食べながら、彼女たちのことや「夏色」に込めた思いなどを聞いた。


【RYCOMEについて】
—おふたりは幼なじみということですが、Jackyさんから見たma-miさんはどんな人ですか?
Jacky ma-miは一緒にやり始めて、もの凄く成長しています。ラジオやミンサージュエリーだったりとか、色々力を入れているんですけど、頑張り屋さんで最近の成長は急激に速いと思います。ラジオやテレビでもハキハキと上手に話すし、もの凄く尊敬しています。
—ma-miさんから見たJackyさんは?
ma-mi 高校生のころから沖縄市でDJをやっているので、音楽面では頼りにしています。メロディーはJackyが作っていて、明るくて、音楽の才能があると思う。あと、人見知りだよね、ちょっとね。人見知りだけど、打ち解けると変な顔とかもしてくれる。
—JackyさんがDJを始めたきっかけは?
Jacky きっかけは、人と違うことやったらモテると思ったから(笑)。DJって男の子の世界だから、始めてからは根性も鍛えられたし、筋肉的にも鍛えられました。レコードってもの凄く重たいんですけど、8kgの束を両手に2個持ったり、背負ったり。レコードは宝ものなので、母性本能のようなものが芽生えちゃって、3kgの米は持てないけど、レコードだったらいくら重くても頑張って運びます。そういう意味で体力的にも鍛えられました。
—RYCOME結成のきっかけは?
ma-mi 私が現在所属している事務所で活動する為に上京していたんですが、やっぱり音楽がやりたくて、それだったら地元に帰って何かおもしろいことをやろうと。で、女の子のDJと女の子のボーカルというスタイルが他にもあまりいないしおもしろいなぁと思って、女性のDJを探し始めたんですけど、なかなか見つからなかったんですよ。Jackyは幼なじみなんだけど、中学校の時にちょっと遊んだのが最後で全然会ってなかったので、mixiを通じて連絡を取りました。会って話してみたらJackyも「自分の活動を形に残したいから一緒にやろう」ということになって。RYCOME結成したのが…
jacky ma-miが帰ってきてからだから、2008年の7月だよね。
ma-mi でも最初は全然活動してなくて。どうせやるなら曲も自分たちで作ってちゃんとやりたいと思ったから、歌詞の書き方やメロディーの作り方もちゃんと勉強して制作に時間をかけました。CD出るまではライブとかもしたことなくて、初ライブは1月でした。
—でも、息がぴったりですよね。
ma-mi そうなんです!
jacky (笑)
ma-mi 運命だよね。
jacky 運命ですよ。


【「夏色」ってどんな曲?】
—新曲「夏色」に込めた思いは?
ma-mi アップテンポで明るい、盛り上がる曲にしようってことでつくった歌で、ハッピーエンドの物語になっているんですけど、お互い片思いから始まって両思いになるっていう。「夏は恋したい」っていう女の子の気持ちを歌っています。
jacky 歌詞の中に、ストレートに「サマー」や「キラキラ輝く」「海」、あとは夕日の「オレンジ」とかの色を入れて、夏に関する言葉をいっぱい使いました。だから今年の夏は是非この歌で盛り上がってほしいなぁと思います。

【うちなーんちゅはやっぱりブルーシール好き】
——(アイスを食べるふたりに)東京行ったらブルーシール食べたくなる?
ふたり なる!
ma-mi 自分が東京にいた時に、ブルーシールのお店ができたときは嬉しくて食べに行きました。東京の人も結構知ってますよ、ブルーシールのこと。ma-miはミントチョコが好きなんですけど、オンディッシュにあるストロベリーミントチョコも美味しいです!
jacky Jackyはさっぱり系のアイスが好きなので、ブルーウェーブがお気に入りです。ラムネのシュワシュワ感とクリーミーなシャーベットが一緒に食べられるところが好きです。


【オリジナルアクセサリーに込めた思い】
—ma-miさんはアクセサリーのデザインもしておられますが、やり始めたきっかけは?
ma-mi 事務所でジュエリー展開をすることになったので、私もやりたいなぁと思ってデザインを描きました。やっぱり沖縄のものを作りたいと思ったので、ミンサーを取り入れて。ミンサー自体が「いつの世までもあなたと一緒にいたい」という思いが込められていて、女性から男性に贈ったという物語があるんですけど、身につけた人の恋が叶ったらいいなぁと思っています。このアクセサリーを身につけてキラキラして欲しいですね。

【これからのRYCOME】
—今後の夢や目標をお願いします。
ma-mi 東京進出です!まずは沖縄で「ライカムといえば、交差点ではなく、あのふたり」みたいになりたい。自分たちが頑張っていれば、誰かの何かきっかけになれるんじゃないかと思って。この曲聴いて「告白しよう」とか、悩んでいる時に聴いて「もうちょっと頑張ってみようかな」とか、RYCOMEを通じて何か感じ取ってもらえたらいいなと思っています。RYCOMEという名前はライカム交差点からとったんですけど、交差点は「RYCOM」、自分たちはEを付けてRYCOMEで「呼び寄せる」という意味も含めています。あと、ライカムが昔は米軍の情報司令部だということが分かったので、自分たちも情報を発信しようと。女の子のボーカルとDJっておもしろいユニットだと思うんですよ。だからもっともっと経験積んで、ライブもたくさんして、若い方からおじいちゃんおばあちゃんまでたくさんの人にRYCOMEを知ってもらいたいです。自分たちが頑張って沖縄が元気になったらいいなと思っています。
Jacky 女性のDJとして、もっと若い女の子のDJがたくさん出て欲しいなと思います。DJは男の世界というイメージで、最近は女性も少しずつ増えてきてはいるけど、DJは男だけのものじゃないと思うし、女で占領したいというのはありますね。いつかDJもスタッフもみんな女性のレディースナイトみたいなイベントがやりたいです。華やかにしてもっともっと盛り上げていきたいです。頑張ります!

小学生の頃にいっしょにアクターズスクールのオーディションを受けたこともあるという幼なじみのふたりが、それぞれに様々な経験を積んで、またひとつの夢に向って頑張ろうと踏み出した。「ライカムって交差点だから、交わるとか近づくっていう意味もあるんです」とはma-miの言葉。もちろんこれは「周りの人やファンの皆さんと」という思いもあるのだろうが、何よりふたりの才能が混ざり合って、新しい楽しみや感動を我々に与えてくれているということは間違いない。まずは沖縄でしっかりと足元を固めてから全国へとやる気と希望に溢れる彼女たち、この夏は県内各地で開催されるイベントで目にする機会も多いはずだ。彼女たちの音楽で沖縄がますます元気になることを期待したい。

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RYCOME

プロフィール
RYCOME(ライカム)。幼なじみであるVocal ma-miとDJ Jackyの女性POPユニットで現在も沖縄県在住。2009年12月に「戀-koi-」でデビュー。ポップスにクラブミュージックをアレンジさせたサウンドが話題を呼んでいる。2010年7月発売の2nd single「夏色」がブルーシールアイスクリームCMタイアップ曲に決定。


Coccoインタビュー

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2010年、Coccoから発信される現実物語—。
愛してるからこそ生まれる憤り、愛しさを音にのせて…


2009年9月に発売された「こっこさんの台所」以来、約9ヵ月ぶり、シングルパッケージとしては「ジュゴンの見える丘」以来、2年7ヵ月ぶりに「ニライカナイ」を発売したCocco。沖縄でニライカナイが意味するのは、理想郷、楽園、神々の住む島…などで、ある種一つの信仰でもある。なにか神秘的な場所や希望に満ちた場所を想像させるが、彼女が歌う「ニライカナイ」から聴こえてくるのは矛盾や絶望感。そんな場所なんてない…と言わんばかりに今にも亀裂が入って、二度と近づけないんじゃないかと思わせるほどエネルギーに満ちたこの曲を歌うことで、アーティストCoccoが伝えたいことは何なのか? そして、8月11日に発売されるニューアルバム『エメラルド』についても話を聞いた。



【 新曲「ニライカナイ」について 】
— 「ニライカナイ」が完成するまでの経緯を教えてください。
Cocco 何かきっかけがあったり、何かのテーマに沿って音楽を作るって作業はしたことがなくて、今回も曲が先に出来て、イントロから最後まで歌詞もメロディーも全部完成されたものが浮かんで、それを音に変換して形になったのが「ニライカナイ」。この曲が浮かんだとき、太鼓が頭の中で響いてて、太鼓=エイサーだな〜と思ったから、エイサーをしている知り合いいないかな〜と思ったんだけどいなかったから、琉球國祭り太鼓の体験に行って…。そのとき知り合いになったみんなに「実はこんな歌があって、太鼓の音が聞こえるから踊ってほしい…」って話をして、デモテープを送っていろいろやり取りをする中で、振り付けも出来ていって、レコーディングも終ったって感じ。とにかく、エイサー隊が踊っているのが見えて、その踊りと一緒にやりたいっていうのがあったから、曲中の振り付けはあーしてください、こうしてくださいっていうオーダーは全然せず、曲を聴いて自由に踊ってもらって。「ニライカナイ」のPVはそれを形にしたもの。 PVは一日かけて録って、みんな踊りまくってヘトヘトだったのに、始発で沖縄に帰った日も琉球國祭り太鼓のみんなは太鼓の演舞をやっていたっていう…疲れてたはずなのにすごいなぁって思った。。
— 太鼓の音がプラスされることで、さらに歌詞や音に現実味が出て、体に刻まれるようなエネルギーあふれる一曲に仕上がってますよね。PVにはCurly Giraffeさんも出演されてて…。
Cocco そう、CDにはCurly Giraffeの声を入れたい、PVにも出て欲しいと思って。PVのなかでのCurly Giraffeの位置は本土の人って設定で、実は後ろに立っている人のなかにスタッフもいたけど、ピンぼけしてたから誰も気付いてない…(笑)。で、祭り太鼓が県人(うちなんちゅ)。Curly Giraffeは東京に住んでるから、本土代表としてそこにいてほしかったし、本土人としてCoccoをいつも助けてくれる人でもあるし、本土っていう立場で参加してもらった。
— 県人と本土人という風に、PVのなかにそれぞれの世界感を作ったのにはどんな意味が込められているんですか?
Cocco 私は沖縄のことを100%正しいとも思わないし、日本のことも100%正しいとも思っていなくて、私は沖縄に生んでもらったし、Coccoっていうアーティストは東京で見つけてもらったし、どっちにも助けてもらった。東京に住んでる人は東京の文句をよく言うけど、そういう浅はかな人がいるのが許せなくて! 人が多いとか、空が見えないとか言って「沖縄の方がいいでしょ? 」ってよく言われるんだけど、東京の空もきれいだし、東京にも住める場所があるし、好いている場所があるし、お世話になってるし、みんなが夢を持ち合っている場所を否定するっていうことは、私は絶対にしちゃいけないことだって思ってるから。一年前と比べたら沖縄も変わっていく風景があったり、いろんな人が侵略してきたり、観光立県のために犠牲になるものが多くて、人が侵略してくることの悲しさっていうのを知っている。けど、東京とか見ていたら沖縄の何百万っていうぐらい外の人間に侵略されていて、その上、その侵略者に東京は自然がないとか言われたら、きっと江戸っ子は堪えきれないと思うわけよ。だから、私は東京を傷つけないように東京で過ごしたいと思うし、大事にしたいと思う。外から来た人は帰る場所があるからいいさー。けど、侵略されても、汚されても、もともと東京に住んでいる人はほかに帰る場所なんてないわけ。沖縄も一緒で、そこに住んでずっと沖縄を背負っていかなければならない人もいるわけで、そういう人たちは違う見方をしたりしているはず。だから、私は東京を責めるってことは絶対にしない。沖縄を見ててばかだなって思うこともあるし、東京に対してばかだなって思うこともあるし、正しいと思うことも、悲しいと思うこともとにかくいろんな感情がいっぱいある。でも、沖縄に帰ってきたときに東京より沖縄の方がいいでしょ? って言われることがすごく不快。東京でも人に会ったときにだいたい「沖縄いいですよね、東京寒いでしょ? 」って言う。東京の雨が嫌いで…とか。「ふざけんな」と。じゃあ、国に帰れって思う。もちろん、本土に対して言いたいこととか、残念だなって思うこともいっぱいあるけど、沖縄を見ていて本当に残念だなと思うことも悲しいこともあって。沖縄に住んでいたら死ぬなって思うこともあるわけ。本土人に責められている部分もあるけど、沖縄を見ていると生きていけないなって思うことがたくさんあって、私を責めてくる。ニュースを見てても何を見ててもそうで、沖縄に殺されてしまうんじゃないかって思うシーンがいっぱいあるから…。沖縄の人はCoccoをいじめているのは東京だと思っているけど、責めるのは東京ではなくて沖縄であり、日本であって、だからいつも沖縄に救われているわけではないわけさ。沖縄に胸を痛めているし、沖縄に絶望していることもいっぱいある。そういう世界感をPVで表現したいなと思って、分かりやすく県人代表として琉球國祭り太鼓に参加してもらって、Coccoが入って、でも、本土に助けてもらってる部分も出したいなと思って、ああいう感じにしました。



【 アーティストCoccoにとってニライカナイとは… 】
— ニライカナイとは、理想郷、楽園、神々の住む島…などを意味する言葉ですが、Coccoさんにとってニライカナイとは何ですか?
Cocco なんだろうね? 募集しよう!(笑)。なんだろう…。ニライカナイっていう場所はないと思っているけど、あってほしいと思ったから、絶望100%の歌なのに「ニライカナイ」ってタイトルにしたんだと思う。スーパーヒーローを待っていても、自分がなんかしないと都合よく人って助けてくれないし、ニライカナイっていうのは夢物語だから実現しないっていうか、夢を見ている場合じゃないから。夢は叶うってみんな信じてて、がんばれば絶対伝わるって言うけど、伝わらないことの方が多いし、叶わないことのほうが多い。見ているだけでは叶わないのに、みんな夢物語を見ている。私はバレリーナになりたいってずっと思って、がんばったけど叶わなかった。だけど、歌に出会って歌手になって、今は自分がやりたいことができてラッキーだと思う。やっぱり、どんなにがんばっても叶わないこともあって、向き不向きもあるだろうし、運もあるだろうし、今になると全部が自分がいる場所に導くためのことだったんだろうなって思う。信じてれば叶うとか…。だったら沖縄はもう夢が叶ってもいいはず。(普天間飛行場移設を受けて)初めて県民が、“でも”とか、“だけど”とかそういういいわけを除いて何か意志表示をした、たぶん歴史のなかでいちばん白黒つけた行動だったと思う。けど、それでも叶わないし、絶対にNOといっても、そのNOが届かない。またしょうがないって諦めるしかなくて、なんくるないさって、しょうがないよ、としか言ってこれなかったおじいやおばあが、これでまた諦めることを覚えてしまう。そんな状況なのに、日本では夢が叶うって歌が売れる。だから、絶望を歌いたかったんだろうなって思う。なのに、自分もニライカナイを見たいっていうか見せたい、変えられるならって思ったから自分の中で希望の光と思っているニライカナイをタイトルにつけたんだろうなって。
— この曲は発売前からライブとかで歌われていましたよね。何かファンの方から伝わってきた反応ってありますか?
Cocco この歌は、まず最初に沖縄で歌いたかった。4月に桜坂セントラルでライブをしたときに初めて歌ったんだけど、そのときはまだ曲名を公表してなかったから、内地の人とかが書いてくれてるライブレポに、「い〜や、“あ”いや」で始まる曲って書いてて…。みんな、「いーや、“あ”いや」って言うわけ(笑)。PV撮影のときもどんなカットを録るか書かれた絵コンテに「いーや、“あ”いや」って書かれてて、「なんで、“あ”ーだばぁ!? 」みたいな(笑)。どう考えても「いーや、“は”いや」って歌ってるのに!! みんな「いーや、“あ”いや」って言うから、ナイチャーよー(笑)。それが気になって。勘違いっていうか、概念っていうか、そういうのがあるのかなって。「“あ”いや」じゃないです。「は!! 」。声を大にして言いたい(笑)。あまりに「“あ”いや」って言うから、つい自分で聴き直してしまったけど「“は”いや」って言ってたよ〜(笑)。
— この曲を聴くと立ち止まってじっくりと考え込まないといけないというか、なんか重くのしかかるものがあるんですが…。
Cocco うん、重くのしかかるものだと思う。この曲は平和だとかLOVEとかPEACEとか、そういう簡単な言葉で片付けたくなかったし、YES、NOとかそういうごちゃまぜに、もっとぐちゃぐちゃにしてのしかかりたかったんだと思う。



【 8月11日に発売するアルバム『エメラルド』について… 】
— ニライカナイが含まれている8月発売のアルバム『エメラルド』ですが、前作のアルバム『きらきら』に比べてどんな作品に仕上がっていますか?
Cocco うちなーものとして恥ずかしくない、うちなーものを作りました。制作中、ちょっと踏んだり蹴ったりなこともあったけど(笑)。例えば、アメリカでライブをやるときに英語じゃなくて日本語で歌ったとしても、音楽だから通じるものがあったりするんだけど、そこに着物を着ていけばもっと面白がってくれると思う。だけど、自分は音楽で勝負したいわけだから、普通に日本で歌うのと同じように洋服を着て歌って、勝負しようと思うわけさ。私は東京でデビューするとき、沖縄ブランドを前に出してやるつもりはなくて、日本で勝負するんだったら日本語で、日本人として勝負したかったから、琉装したりだとかうちなーブランドを鎧や盾にしなかった。他のアーティストと同じ土俵で勝負したかったから、そういう気持ちでずっとやってきたんだけど、沖縄でライブをしたり、レコーディングをしたりしたときにも、やっぱり沖縄が好きっていうのは変わらないし、どんどん強くなるし、ずっと沖縄に対して自分の方が好きすぎて片思いしてると思ってたけど、片思いばっかりじゃないって気付いた。たとえ片思いだったとしても恥ずかしくないくらいこんなに大好きだから、振られたって何されたって、かまいやしないって思える。それに、沖縄にちゃんと愛されている自信も感じるし、そういうのが全部ちょうどいい具合に感じてる。今まで沖縄には言いたいことってあったとしても、一個言うとしたら“愛してる”って言葉で、それ意外いいやって思ってた。でも、好きな人だから喧嘩できて、嫌だとか、バカとか愛してるからこそ言えることがあったりもする。小学校のときとか平気で「やー死なすよ」、「死なさりんどー」とか言ってたのに、今それを言ったら逮捕さ。でも、死なすよって言えたのは、愛されてて、愛してるっていう信頼関係があるからこそ言えたことであって、初対面の人とかには言わないさ。友達同士とかでは平気でそういうことが言えてた。今でも言葉の意味、誤解みたいなものを恐れて言えないことっていっぱいあると思うんだけど、今回はその誤解を恐れずに、誤解されてもいいから、沖縄に対して「やー死なすよ」ってことも言おうって気持ちが固まったわけ。なんでかって言ったら、何を言われたって愛してるって立証できる、言われる自信があるから。例えば、私のおじいちゃんは沖縄では有名な人だから、「Coccoです」っていうより、「真喜志康忠の孫です」って言った方が早かったわけ。それではいけない、私は沖縄ブランドを出さないでやりたいって思ってたけど、今ではその沖縄ブランドを背負いたいって思って。「そうです、私が沖縄の女ですが何か!? 」って感じ。内地のミュージシャンが沖縄風アレンジとかやるさ、あんなのに絶対負けたくないって思うわけ。全国的にも有名になった沖縄の歌かって思われているぐらい沖縄風の歌を歌うアーティストの人と、一回ライブで同じステージに立つ機会があったとき、突発的に絶対に負けたくないと思った。沖縄を背負って立つのは私だって思ってたから。リハーサルでタンバリン破るくらい、「いーやーさーさー!!! 」みたいな感じでやって、うちなーものとして絶対に沖縄風とか沖縄アレンジに負けないって思って。そのときにすごい闘志が湧いて絶対やってみせる、自分は何をやってもうちなーものだって。うちなーの人がうちなーブランドを持たなくてもうちなーさ。例えば、ハワイから帰ってきた人が浮かれてアロハシャツを着て帰ってきたら、ちょっとイラッとするさ。「なに浮かれてるの? 」って。そう見られるのが嫌だったけど、現地の人も生活のなかに溶け込んでるからアロハシャツを着てる。だから、うちなーもんがうちなーもんを持ったって、うちなーもんですって言えばいいし、民謡を取り入れたりすることは自然なことだし、インチキじゃない。それを背負ってでも、うちなーですって言えるようになりたいっていうのがいちばん強く出ているのが、今回のアルバムです!!
— 今回のアルバムには14曲収録されていますが、なかでもこれは聴いてほしい! って曲はどれですか?
Cocco 「三村エナジー」!! これは、もうできたら新都心に住んでいる人みんなに聴いてほしい。あそこは“いいどぅまい”って土地だから、“おもろまち”じゃないさ。ねつ造甚だしい。“とみぐすく”って地名が“とみしろ”になったりとか。日本で活躍している人が“きんじょう”って名前で活動していたらうちなーって思うと思うけど、“かねしろ”って聞いたら「なんかちょっとちゃらいやっさー? 」ってならん? そんな感じで、“いいどぅまい”が“おもろまち”になったりとか、沖縄に“銀座通り”があったりとか…。土地の名前って民謡とか琉球芝居にも関わってくるさ。そういうのがどんどん意味が分からなくなってるような進化がいっぱいあって、すごく残念だなって思う。だから、これを歌って、たぶん新都心に投げかけたかったんだろうなって思う。あっちも昔は黄金森があって、泊小学校の校歌でも「黄金の森背なに負い〜」って歌われてるわけ。私はじいちゃんと同じ出身校で、じいちゃんと唯一世代を超えて一緒に歌える歌だったのに、いま黄金森は公園として気持ちばかりしか残ってない。ちっちゃい展望台みたいなのがあって黄金森公園って残ってるけど、あそこは全部、黄金森だった。だから、昔を知ってる私にとったら、あれは黄金森じゃなくて黄金森跡。だってあそこは全部原っぱだったのに。今は道ができてたり、マンションが立ってたりする…。まぁ、ちょっとは黄金森を残してくれたことに感謝をしなければいけないんだろうけど…。

【 アルバム発売後のCoccoの動き 】
—新曲のニライカナイもそうですが、8月11日に発売されるアルバムもたくさんの人に聴いてほしいですね。
Cocco うれしい気持ちで作ったって悲しい気持ちで聴いたら悲しい歌になるし、こういう気持ちで聴いてねっていうのは言えないけど、みんなが今の自分の気持ちで聴いて、考えてほしいと思う。どれから先に聴けとは言わない。シャッフルとかもできる時代だけど、もし時間があるなら一回でもいいから通しで聴いて欲しいと思う。あとは、任せる。でも一度は、一曲目の「三村エナジー」から14曲目の「絹ずれ 〜島言葉」までの流れを聴いてほしいなぁって思う。
— では、読者のみなさんにメッセージをお願いします。
Cocco 「ニライカナイ」とアルバム『エナメルド』をお誘い合わせの上、お聴きください(笑)。そして、夏に沖縄でライブする機会があると思うので、お誘い合わせのうえお越しください!!



梅雨のまっただ中、行なわれた今回のインタビュー。南部のあるビーチに現れたCoccoから出た最初の一言は、「はじめまして、内田有紀です」。なぜ、内田有紀??? と、天気の悪さを忘れてしまうほど拍子抜けをして、その場が笑いに包まれたものの、天気も悪かったのですぐに撮影ポイントに移動…。そして、写真を取り終えるとすぐにインタビュー場所へと移動したのだった。ニライカナイはないと言いつつも、今の沖縄の現状やCoccoを取り巻く日常の先に希望の光があってほしいと願う、切実な想い。その一つ一つの言葉が色濃く記憶に残るほど、沖縄や東京に対する愛を感じることができた。現在、Coccoが抱える喜・怒・哀・楽を隠すことなく表現した作品にじっくり耳を傾けてほしい…。

Cocco出演イベントの詳細が到着!!
『 FOREVER BLUE Vol.2〜かけがえのない未来のために 』
日時:2010 年8月15日(日・終戦記念日)
時間:開場15:00 開演16:00
場所:沖縄コンベンションセンター劇場棟
主催:沖縄タイムス社
協賛:沖縄海邦銀行ほか
出演:Cocco、かりゆし58、bird
料金:S席(1階席)5,800円、A席(2階席)4,800円、B席(3階席)3,800円 ※記載料金は前売り料金です。当日は、各1,000円UPとなります。
☆チケット一般発売は6月27日(日)〜


Cocco



プロフィール
Cocco(こっこ)。1997年デビュー。エッセイ「こっこさんの台所」、小説「ポロメリア」を発売するなど、アーティストとしてだけではなく作家としても活躍しているのはご存知の通り。6月のシングル「ニライカナイ」に続き、8月にはアルバム『エメラルド』をリリース。夏フェスにも多数出演する予定なので、随時ホームページを要チェック!!






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『うたの日コンサート2010』ライブレポート

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Filed under 4.Report, BEGIN, なゆた

今年で10回目となった“うたに感謝するイベント”
『うたの日コンサート2010』をまるごとレポート!!




6月26日(土)、西原マリンパーク多目的広場で行なわれた
『うたの日コンサート2010』に行ってきました。

午前中、何度かスコールに見舞われましたが、
お客さんが会場に入りはじめたときには晴れ空に。
雲は多かったものの、うたの日びよりになりました。

私はというと…前日から準備は万端。
敷物に日よけのおっきなタオル、帽子、サングラス、
おやつ、お弁当、冷え冷えのドリンク…と、
夏本番の沖縄の太陽に負けないよう熱中症対策もばっちり!
ラストまで楽しみました。



沖縄交響楽団が登場すると、
拍手が静かに広がり“うたの日”がいよいよスタート。
そのあとのオープニングトークで司会のきゃんひとみさんが
「うたの日おめでとー!!! 」 と叫ぶと、
負けじと会場からも大きな拍手が起こったのでした。

開演から30分ぐらい経ったころに、なゆたさんのステージがスタート。
なんと照屋林賢さんがプロデュースする、
若干17歳の女性シンガソングライタ—なんです。
CDでは歌声を聞いていたけど、生声を聞くのはこの日が初めて。
伸びやかでかわいいい彼女の声に、
気がつくと目を閉じて耳を澄ましながら、歌声に聴きいっていました。

続いては2003年に結成して以来、
ハードコアな音楽を追求し続けている2 Side 1BRAINが登場。
会場ごとひっくり返してしまうのでは!?
と思わせるほどのエネルギーあふれるステージへと変貌しました。
と、同時に私の目の前では、若いママと1歳ぐらいの子どもが
音楽に合わせて手をあげ、体を揺らし、はしゃぐ姿も。
会場をあおり、ステージを動き回り、
さすが! と思わせるそのパフォーマンスに一気に熱が上がりました。

いずみ&やよいが偽Perfumeとして出てくる…
という寸劇が終って出てきたのは、沖縄でのライブ初のPerfume。
ワンルーム・ディスコ、エレクトロ・ワールドを歌い終えたあと、
「かしゆかです」
「あーちゃんです」
「のっちです」
「3人合わせてPerfumeです」
とお決まりのフレーズをいうと、今までにない歓声が上がっていました。
そのあとも、かわいく会場をあおりヒット曲を歌い終えると、
かわいくステージ裏へと帰っていきました。

ここで早くも時間は18時に。
しばらくすると、石垣島で結成された白百合クラブが登場。
なんと平均年齢75.5歳というからびっくり。
「まだまだ50年は歌える…」などと冗談を交えながら、全6曲を熱唱していました。

このあと、もっとも子どもの注目を集めたのは
沖縄で知らない人はいない琉神マブヤー。
「ゴーゴーマジムン」、「マブヤーダンス」を披露すると、
子どものハートをがっしりつかんだままステージをあとにしました。

そして、ここからは大人の時間。
日が傾いていくなか、南こうせつさんが登場すると、
「こうせつ〜」という叫び声が響き渡り、
それらの声援に答えるかのように
心にしみる音楽と巧みなトークで会場を盛り上げていました。
そして、BEGINも登場し、一緒に「忘んなよ島ぬくとぅ」を熱唱。
双方の絆の深さを思わせるような深みのある音楽でした。

楽しかった一日もいよいよ終わり…。
ラストを変わるのは、やはりBEGINです。
一曲目は、いちばん大好きなデビュー曲「恋しくて」。
日も沈み、東の空で部分月食の月が輝く
雰囲気抜群のなかでの「恋しくて」はまた格別でした。
そのあとは、待ってました! といわんばかりに会場が盛り上がった
「島人ぬ宝」、「オジー自慢のオリオンビール」などが歌われ、ついにフィナーレへ。

出演者全員が出てくると、「うたがうまれる」を大合唱。
もちろん琉神マブヤーも加わり、
ステージの上も会場もお祭り騒ぎのように
歌い、踊り楽しむ姿が見られました。



この日会場に訪れたのは約2万人。
家族で来た人、友達と来た人、一人で来た人…
それぞれが思い思いに音楽を聴き、楽しんでいる様子が伺えました。
このイベントに参加するたびに音楽のすばらしさに気付き、
BEGINの偉大さに気付きます。
多くの人に愛されている音楽、そしてBEGIN。
来年も、そしてこの先ずっと、
純粋に音楽を楽しめる“うたの日”に
また、今日のようにみんなで集まりたい…と、強く思うのでした。


『ARAKEMO。』コメントインタビュー

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Filed under ARAKEMO。

クラブイベントなのにJ-POP?
土曜の夜に開催される『ARAKEMO。』にズームイン!





クラブといえばヒップホップやテクノなどのダンスミュージックが定番だ。しかしこの『ARAKEMO。』はJ-POPを武器に客を踊らせる。ダンスミュージックをかけずにJ-POPだけで踊らすなんてただものではないDJであることは確かだ。メインのDJはyoruno、onn@man(オンナマン)、TAI=chan(タイチャン)の3人。毎回ゲストDJを呼び奇数月の第2土曜日、牧志のダンスクラブ熱血社交場にて開催している。そんな『ARAKEMO。』も今年で7年目。きたる7月10日の準備に余念がないメインDJのyorunoとonn@manにコメントをしてみた。


— 『ARAKEMO。』とはどんなイベントですか?
onn@man 普段、歌番組やラジオ、有線でしか耳にしないJ-POP等をかけるDJイベントです。
yoruno J-POPイベントという事でよく誤解されるのは「売れ線の曲を、ろくに繋ぎもしないでダラダラかけてるだけでしょ?」という類の意見。そうじゃないというのを知ってもらうには会場に来てもらうしか無いんですが…。我々を「学祭ノリでDJごっこしてるクラスの人気者」と同一視されるのは非常に不愉快。(笑)
— クラブといえばヒップホップやテクノなどのダンスミュージックが多いのですが、なぜクラブとは縁もゆかりもなさそうなJ-POPでイベントをしようと思ったんですか?
onn@man 以前、和田アキ子さんがソウルでもジャズでも日本語で歌えば全部J-POPと話してたんです。それと一緒で日本語で歌われるトラックはJ-POPとくくってミックスするので、J-POPの中にヒップホップもテクノもあるし、日本語リリックっていう意味も理解しながら引っくるめて楽しめるのが最大の理由じゃないかと。
yoruno ヒップホップやテクノのイベントだとそれ専門の人がいっぱいいるし、それを自分達がやる意味は無いので。日本語縛りのクラブイベントという事で、当時意識したのはハロプロ楽曲のみのイベント『爆音娘。』と、あと勿論『申し訳ないと』の影響は大きいです。
— DJの方々はどんな方々ですか。『ARAKEMO。』以外での活動は?
yoruno アラケモ以外にもそれぞれの分野で活動している方々が集まっています。 onn@manはJ-POP以外にもGABBA・アニソン・K-POPと幅広いジャンルのイベントでスピンしてるし、TAI=chanは『PLUS+』というお洒落なイベントを火の玉ホールでやってます。自分に関しては、LOTTI(ロッチ)、mixb(ミックス部)というレーベルの運営と、座久拓郎という名義での楽曲製作もやっています。あと、幽霊メンバーのアフロディーテ・ファンクラブことDJきなこもちアイスという男がいて、一部で話題沸騰となったアンセム『しらきや』という曲は必聴!
— 一般的にクラブというと近寄りがたいイメージがありますがどう思いますか?
onn@man 何年もクラブでイベントをやってますが、自分のパーティで近寄りがたいワルい男子にエロい女子、セレブっぽいオサレっ子なんて見た事ありません…。
yoruno どうなんですかね?深く考えずに、もっと気軽に遊びに来てくれたらいいと思うんですけど。アラケモにはサイバーのりP的な客は見当たらないんで。(笑)
— 今年で『ARAKEMO。』7年目ですが心境はどうですか?7年も続けることはむずかしいと思いますがどうですか?
onn@man よく7年も続いてるなぁと感心します。(笑) これは柔軟性のあるDJ陣とサポーターのおかげだと実感しています。
yoruno 気がついたら7年って感じですかね。最初の5年間は宜野湾・南国の夜で月一レギュラーをやってたんですが、そこでの経験が今にいかされてると思います。同じ事を少なくとも10年続けないと発言権無いと個人的には思うんで、あと3年は謙虚な気持ちで頑張ろうかなと。
— 今回7月10日のゲストDJはどんな方々ですか?
yoruno KIM君は沖縄最大のテクノ・パーティー『DENKIROK』主催者。以前から面識は有ったけどそんなに親しくない・・・程度だったんですが、思い切ってお願いしたところ快諾いただけました。彼曰く「放送事故を起こす」との事なので、その辺も含めて面白くなること間違いないです。トクメイキボウ君はDJでもありトラックメイカー。HIPHOPのイベントやCDでよく名前を見るので知られてる方も多いと思うんですが、HIPHOPに限らず尋常じゃない音楽知識を持ってる方です。当日はほぼアナログオンリーでのプレイとなるとか。
onn@man どちらも一癖二癖あるDJなんで彼等の日本語縛りのミックスにも乞うご期待!
— 最後に読者にメッセージを
onn@man まず現場の爆音で体感しないと、説明では伝わらない面白さが待ち受けてるはずなので、アラケモを是非チェックしといて下さい。
yoruno recordando los cocteles de bienvenida de arakemo!

J-POPイベントの最大の敵は偏見である。いつのころかJ-POP=カッコ悪いという法則が頭の中に刻みこまれている人も多いだろう。あからさまに商業的なJ-POPより世界で活躍する海外のアーティストの方がカッコイイと思ってしまう。そこでぜひ洋楽しか聴かなくなった人にこのイベントをお勧めする。自分の偏見が気持ちよく崩壊する快感をおぼえリピーターになってしまう客が多いのも納得いくだろう。ぜひ『ARAKEMO。』でJ-POPを爆音で聞く喜びを楽しんでもらいたい。




ARAKEMO。



プロフィール
ARAKEMO。(あらけも)。2003年9月、onn@man,DJきなこもちアイス,yorunoの三人体制でJ-POPイベント『嵐の獣。』始動。途中TAI=chanが加入し2008年11月、『ARAKEMO。』としてスタート。不定期開催を何度か挟み、2010年5月より熱血社交場にて隔月レギュラー(奇数月第二土曜日)をスタート!




なゆたインタビュー

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照屋林賢に見いだされた新たな歌姫
今自分にできることは、歌うこと




窓から差し込む光にまるで溶けていきそうなくらいゆったりとした雰囲気を身にまとうなゆたは、若干17歳にして「人生何が起るか分からない」と達観する精神の持ち主。それもそのはず、2年前に照屋林賢氏から誘いを受けるまでは、まさか自分がシンガーソングライターとしてデビューするなんて思いもよらなかったという。そんなちょっと普通じゃない経験をした彼女の経歴もまた普通ではなく、2歳からインターナショナルスクールに通い、14歳の時に「全ての命を大切にしたい」という思いからベジタリアンに。15歳の時に沖縄で3週間過ごし、その時偶然にも彼女の歌が林賢氏の耳にとまることになる。そして、彼女の家族もまた、「なゆたのためなら」と一家で沖縄移住を決意。そんな彼女にデビューのきっかけから、6月30日に発売された「なゆたうたう」の制作秘話までゆる~~く話を聞いた。


【照屋林賢氏との出逢い】
— まずはインターナショナルスクールご卒業ということで、おめでとうございます。
なゆた ありがとうございます。
― では自己紹介をお願いします。
なゆた なゆたです(笑)
― 沖縄に来たきっかけは?
なゆた もともと家族全員が沖縄大好きで、私が学校卒業したらみんなで沖縄に引っ越してくるという計画だったんです。でも林賢さんと出会って、音楽を始めて、林賢さんも「おいでよ」と言ってくれたので、ちょうど学校も見つかって試験も受かったので、もうこれは行くしかないということで、予定より早く家族全員で来ちゃいました。去年の7月です。
― どうですか沖縄は?
なゆた 最高。大好き。幸せです、本当に。
― 寂しくなかったですか?
なゆた それが全然。向こうの友達とは離れてしまうけど、ずっと友達だし、また会えるから寂しくはないです。
― ウクレレは何歳のときから?
なゆた ちゃんと始めたのは2年前から。その前に、押し入れにウクレレが2本あったのをお母さんが「押し入れに入らないから」という理由で私の部屋に持ってきて、しばらく置いてたんですけど、友達がウクレレやってるっていうのを聞いて、自分も教えてもらおうかな、と。その時に何コードか教えてもらったんですけど、そのあとまた2~3年は弾いてなくて(笑)。で、2年前の終業式の時に、友達とパフォーマンスでウクレレと歌で1曲やろうということになって、その時からちゃんと練習し始めました。歌もちゃんと歌い始めたのはその頃からです。
― ということは、音楽を本格的にやり始めてから2年でデビューということですね。子供のころから歌手になりたかったんですか?
なゆた 全っ然!(笑)だからびっくりしています。まさかデビューすると思ってなかったんで。だから人生何が起るか分からないな、と。
― 自分で歌を作り始めたのは?
なゆた 歌を作り始めたのは1年半くらい前です。歌い始めて半年くらいたってからなんですけど、それまではカバーで歌っていました。レコーディングもしたんですけど、林賢さんが「なゆたは自分で作った方がいいよ。自分の歌が絶対作れるから作ってみな」って言ってくれて。それで作り始めました。アルバムの最後の『heart to heart』という曲は林賢さん作曲で私が作詞なんですけど、最初に林賢さんが(りんけんバンドの)曲を送ってくれて「これに歌詞付けてみな」って言われて書いてみたら、私にも出来るんだなって(笑)気付かされました。
― 話は前後しますが林賢さんとの出会いは?
なゆた 子どもの頃から沖縄には年に1回くらい家族で旅行に来ていて、カラハーイ(北谷町のライブハウス)に行ってたんです。ティンクティンク(照屋林賢氏プロデュースの女性2人組デュオ)が大好きで。その時にお客さんとして林賢さんと顔見知りになりました。その時は「これが照屋林賢さんかー。」って感じで。で、2年前に沖縄に来た時に、たまたま林賢さんの知り合いの人が私の歌を聴いてくれて、「林賢さんに紹介してあげるよ」って言われて林賢さんと再会しました。その時に林賢さんに「ちょっと歌ってみて」って言われて、歌ったらいきなりレコーディングすることが決まったんです。「じゃあ来週レコーディングね」って。さすがに「へ?」って思いました。
― ご家族もびっくりですよね。
なゆた 家族旅行で来てたんですけど、その時は家族は先に横浜に帰ってて、沖縄には私ひとり残っていたので、家族に電話したら「林賢さん?!びっくり!!」って。本当に不思議。



【「なゆたうたう」レコーディングとツアー】
― 歌はどんな風に作りますか?
なゆた 歌を作った時のことってあんまり覚えてなくて、ウクレレ弾いてたり、いいメロディーや歌詞が浮かんだ時にノートに書いてたりしてるうちに1曲できてたりするので、気が付いたらできてるという感じです。
― どんなアルバムに仕上がりましたか?
なゆた 完成までに1年掛りました。最初の頃は楽器とかアレンジとか、あまり上手くなかったので、他のアーティストさんにお願いしたりしているうちに、自分で段々できるようになってきて、結局は自分で全部演奏しました。なんだろ、歌って、私の気持ちが形になったもので、今回9曲入ってるんですけど、究極の9曲って言ってて(笑)。本当に私のそのままの気持ちが形になってCDになった感じです。楽しかったです、作るのが。デザインとか、中の絵とかも、描いたり。もともとモノを作るのが好きなので。絵も描くし、ミサンガやネックレスなんかも作ったりします。
― ツアーが始まりますが。
なゆた 音楽を始める前から世界中をまわりたいなって思ってて、学校を卒業したらまず日本をまわりたいと思ってたんです。最近まで忘れてましたけど。で、ツアーが決まった時に思い出して、「仕事で日本一周できるじゃん」て(笑)。嬉しい。楽しみです。
― どんなライブにしたいですか?
なゆた 来てくれた人が「来てよかった。もう1回聴きたいなこの子の歌」って思ってくれるようなライブにしたい。でも、リラックスしていつものようにできたら一番かなぁって。今回はプロモーションを兼ねたライブで、イベントや対バンだったりするので、たくさんの人に知ってもらいたいです。



【これからのなゆた】
― 今後の活動は?ずっと歌を歌っていきたい?
なゆた 特に歌にこだわっているわけではなく、今できることは歌を歌ってメッセージを伝えることだと思っていて。でも、ずっと忘れないでおきたいのは、ひとりひとりみんな違ってできることもみんな違うから、私は私にしかできないことをこれからもやっていって、それが誰かの役に立てたらいいなと思っています。それが今は歌だけど、それがこのあと歌じゃなくなっても、私は私のままでいて、私にしかなれない私でありたいなぁって。だから、今はライブを頑張ります。
― 読者へのメッセージを
なゆた いっしょに頑張りましょう。今、色々なことが起きているから、ひとりひとりが変わったり、小さなことを変えていくことで大きなことが変わると思うから、私も今、自分のできることを頑張るから、みんなも頑張ってほしいです。あと、家族や友達にありがと~って伝えたいです。



バイリンガルである彼女の歌は、英語と日本語をうまくリズムに乗せ、まるで言葉遊びを楽しんでいるかのようである。照屋林賢氏は同じアーティストとして彼女の才能を瞬時に見極めたのであろう。また、なゆたに「林賢さんてどんな人?」と尋ねると「友達!ダジャレ仲間!」という回答が返ってきた。ここからもふたりの信頼関係がよくわかる。こんなふうにして、沖縄の新しい歌姫なゆたは誕生した。ストレートでサラサラの長い髪と、茶色い目、時折見せる遠くを見る眼差し。あどけない笑顔と成長途中の細い手足、素直さと危なっかしさは若者の特徴であると思うが、彼女はすでに自分の世界を持っていて、自分の足で一歩踏み出そうとしている。「みんな違って みんな特別」とは彼女の言葉。なゆたがどんななゆたになっていくのか、目が離せない存在になりそうである。




なゆた



プロフィール
1992年8月10日生まれ、神奈川県横浜市出身、2009年に家族で沖縄移住。15歳の時に照屋林賢氏の勧めで本格的に音楽を始め、2010年照屋林賢プロデュースでデビュー。「See you tomorrow」が第2回沖縄国際映画祭出品作品「ニライの丘」主題歌に起用される。6月30日に待望の1stアルバム「なゆたうたう」をリリース。




『ニイナとオジィの戦世 〜めぐりめぐるいのちの讃歌〜 』舞台レポート

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音声と舞台が一つになったオーディオ舞台とは!?
沖縄戦をリアルに描いた
『ニイナとオジィの戦世 〜めぐりめぐるいのちの讃歌〜 』


6月23日(水)の慰霊の日、パレット市民劇場で行なわれた
『ニイナとオジィの戦世 〜めぐりめぐるいのちの讃歌〜 』を
見てきました。

“オーディオ舞台”と言って、音声ドラマと舞台が一つになった演出で
今までとは違う沖縄戦を描いたこの舞台。
私自身、オーディオ舞台を見るのは初めてで、
どのようにストーリーが進んでいくのか分からないまま、
開演ギリギリに会場入りをして着席。
まもなく照明が落ち、舞台は始まりました。


主人公ニイナを中心に繰り広げられるこの舞台。
生きることが嫌になり、自殺を図ったニイナが三途の川を渡ろうとした瞬間、
見知らぬ男が現れ、沖縄戦が繰り広げられていた1945年に
タイムスリップすることで、物語ははじまります。

そこでニイナが出会ったのが学徒兵(鉄血勤皇隊)として戦う当時16歳のニイナのオジィ。
学徒兵として招集され、沖縄戦が終結するまでの
悲惨で過酷な日々を目の当たりにすることで、
ニイナの中で生きることへの意識が変わっていくストーリーです。


声の出演には池田卓さん(オジィ・玉那覇亀吉 役)、
高良結香さん(山城美子 役)らが果たし、
演出家、平田太一さんのもとで舞台を学んできた
砂川政秀さん率いるmas36や県内の高校生らが
音楽やダンスなどを取り入れてリアルに表現しました。

そして、舞台中、肝高の阿麻和利で舞台を経験し、
歌手として東京で活動をするNiinaさんの歌も披露されました。
重要な場面で響く彼女の歌声からは何か光を感じ、
“生きる”というエネルギーを強く感じました。
それだけ、彼女の舞台にかける想いや訴えかけたいメッセージが
はっきりしていたんだと思います。


あっという間の1時間。
何度も胸が苦しくなるほど悲しみが込み上げ、
気がつくと涙がこぼれていました。
こうしてこの会場で舞台を見れていることの意味、
まだまだ知らないことが多すぎる無知な自分を
見つめなおしたりもしました。

そして、命の尊さや生きることの大切さを再認識させられました。
頭では分かっていても、普通に毎日を生活している…。
そんな幸せなことはないのに、それ以上の幸せを求めてしまう…。
ぜいたくな生き方をしているな…と強く感じました。

日本で唯一の地上戦が行なわれた沖縄の過去を知るため、
そして、今一度生きる意味を考えるきっかけになる
『ニイナとオジィの戦世 〜めぐりめぐるいのちの讃歌〜 』。
7月2日(金)にFM沖縄にてラジアンリミテッド内で
深夜3時から1時間放送されるので、ぜひ聴いてください。


All photo by Miyuki Kakinohana


DASTAMASインタビュー

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Filed under DASTAMAS

個性的すぎる! 多言語を自由に操る
期待大のヒップホップユニットを直撃!!




もともと音楽活動をしていたカイラスと、音楽が好きだったローメルが偶然にも出会ったことで、沖縄のヒップホップシーンに新たな旋風を巻き起こすことになったDASTAMAS。2004年の結成後、グループとしてゼロからスタートし音楽活動をスタートさせるも、カイラスの中国への転勤によってDASTAMASとしての方向性を見失いかける時期が到来。しかし、そこで二人をつないだのは、やはり音楽だった。彼らの音楽はヒップホップというジャンルのなかでもすんなり入ってくる聴きやすさがあるにも関わらず、一度聴けば耳から離れないほどのインパクトを持っている。それは、中国語、スペイン語、日本語、ウチナーグチ、英語…と、多言語を取り入れたリリック(歌詞)が、ほかにはないオリジナルを確立しているからだろう。待望の2ndアルバム『言語CHAMPLOO』を発売したばかりの二人に、結成後のストーリーを隠すことなく語ってもらった。


【 DASTAMASが結成されるまで… 】
— 結成するまで、それぞれ音楽とどのように関わっていたんですか?
カイラス 僕はもともとソロで音楽活動をしていたんです。ローメルと出会った時点で、音楽活動はじめてから3年ぐらい経ってたのかな? その当時、沖縄のヒップホップシーンをひっぱっていたTama FreezeやDJ Hinga HIGAなどの先輩たちの中で、若手として一緒にやってたんですよ。ローメルとは職場が同じだったことがきっかけで一緒にすることになったんですが、出会った瞬間にビビビビビッとなんか感じるものがあって…。でも、その時は何があったってわけではないけど(笑)。で、ローメルが音楽が好きでヒップホップが好きっていうのを知ったときに、「実は音楽活動をしていて、クラブでライブとかしてるよー」って話をしたら、「ウソでしょ〜」って信じてくれなかったから、白黒つけるためにイベントに誘ったんです(笑)。そしたら納得したみたいで、「音楽やりたい、やりたい」って言ってたから、一緒に組むことになったんですよ。ローメルはペルー出身でスペイン語ペラペラだし。スペイン語って耳にしたときに単純にかっこいいんですよ。こっちではあんまり聴かないから、オリジナリティーがあるしいいなと思って。それに、今まで何回か他の人を誘ったりしたんですが、リリックを書いてくる人はいなくて、ローメルは最初からリリックを書いてきたんで、「やる気あるな〜」と思って一緒にやろう! って決めました。
ローメル 音楽はじめる前は、音楽との関わりはクラブとかに遊びに行ったりするぐらいだったんですよ。で、ヒップホップが好きっていうよりクラブに行くのが好きで、そこでヒップホップやレゲエを聴いてたんです。そんなとき、会社で「最近、おじさんが入ってきたよ。音楽やってるらしいよ」って聞いて、バンドやってるのかなあ〜って思っていたら、ラッパーだったんですよね(笑)。本当にラッパーなのか疑ったのは、身近にそんな人がいなかったからピンとこなくて。見たことすらなかったから。で、白黒はっきりつけるためにカイラスが出ているイベントに行ったら、ものすごくかっこよくて。ほかにいろんなラッパーがいたりして、本当にかっこよかったんですよ。そこで俺もやってみよう! って思ったんです。
— カイラスさんとの出会いがなかったら、この世界にも足を踏み入れてなかったってことですね。ローメルさんは、アーティストとしてゼロからのスタートだったと思うんですが、今までの道のりはどうでしたか?
ローメル はい、絶対そうですね。出会うまでは、クラブは遊びに行くところだったので。もちろん、最初はまったくの素人で、ラップの聴き方もリリックの書き方も韻の踏み方も分からなかったので、一から教えてもらいました。あと、小節の取り方、リズムの取り方も全部。一からカイラスに師匠としてしごいてもらいました。今では、スペイン語のリリックも書いているけど、実はスペイン語に対してすごくコンプレックスがあったので、初めてリリックを書いたときは日本語で書いたんです。親と話すときはスペイン語なんですけど、それがものすごく恥ずかしくて。でも、作ってみると日本語がなんかしっくりこなくて…。そこでスペイン語でやってみたら周りの評判がよかったんです。だけど、スペイン語を話せると言っても親と話す程度なんで、一からスペイン語を勉強しました。それから、スペイン語に対してリスペクトできるようになったんです。スペイン語を話すことが恥ずかしいと思っていた自分に情けなくなりました。一枚目のアルバムなんかはスペイン語だけの曲とかもあったんですけど、やっぱりここは日本だし沖縄なんで、もっと意味が伝わるようにしないといけないなと思ってスペイン語を抑えたんです。やっぱり聴いている人も日本語7、スペイン語3ぐらいの割合の方がリリックとしては聴きやすいし、ベストだと思います。



【 歌詞に言語を多様したスタイルを確立 】
— 最初からスペイン語を取り入れていたわけではないんですね。
ローメル 一枚目のアルバムを出す前に何かイベントをしようってなって、仲間たちとDeep Southっていうイベントをオーガナイズしたんです。その仲間の中にいた、KEN a.k.a QUIKKとSEKAIは2人ともアメリカ出身のバイリンガルで、もちろん英語が話せるんですけど、ファーストアルバムの「さんぴんDEW」って曲で一緒にやってる二人で。この曲は、英語とスペイン語と日本語が混じってて、そのときぐらいから発音や韻の踏み方とかが違う、いろんな言語をリリックに入れることの面白さに気付いた感じです。
カイラス 僕らがいちばん求めていたのはオリジナリティなんです。かっこいいラッパーはたくさんいるから、「俺たちにしかできないことをやろう! 」ってなって、それがいまのDASTAMASの形になっています。でも、DASTAMASとして活動がスタートしてからローメルと離れた時期があったんです。仕事の関係で中国に約2年くらい住んでいたんですよ。CD出したあとだったのにプロモーションも何もできず、急に中国にいくことになって(笑)。
ローメル そう、その間、俺はソロで若い子たちのレコーディングとかやりつつ活動しているときに、『MADE 韻 OKINAWA』っていう沖縄のヒップホップ、R&Bアーティストのコンピアルバム参加のオファーが来たんです。そのアルバムの中に、自分たちの一枚目のアルバム『TE AMO OKINAWA.2007』に収録されている「TE AMO 沖縄」がセレクトされて。この曲は自分たちの押し曲で、OPAのCMにも使っていただいて。そのアルバムが発売されるまで、DASTAMASとしての活動は実際1年のブランクがあって、そのときはカイラスと微妙な距離感が生まれて、解散こそはないけど、なんか微妙だったんですよね。
カイラス 中国に行ったことで環境が変わって、僕自身、音楽から離れちゃったんです。その時期は気分的になんかモヤモヤしてたし。けど、タイミングよく『MADE 韻 OKINAWA』に入れてもらえたことで、音楽をまたやろう! って想いが湧いてきて…。3ヵ月に一度、中国から一時帰国してたんですけど、その間にリリックを書いて、ローメルがトラック探して、帰ってきたらレコーディングして…って感じで制作をしていました。それを続けてたら、いつの間にか楽曲もストックされていったんです。
ローメル だから、『MADE 韻 OKINAWA』が自分たちにとってターニングポイントだったのかなって思います。



【 現在の沖縄のHIP-HOPシーンについて 】
— 現在の沖縄のヒップホップシーンについて何か考えることはありますか。
ローメル 自主でCDを出す人も増えているんで、自分はこれから盛り上がっていくんじゃないかなって思っています。ラッパーにも超アングラな人がいて、俺たちとスタイルが違う人もいるんです。例えば、すごい昔から尊敬しているST-LOWとか、音楽性とかやりたい方向は違うけど、いいコミュニケーションが取れていてやりたいことは分かるから、そういう人たちと沖縄のヒップホップを盛り上げて行けたらいいなって思います。だからまず、自分たちがやるべきことをやっていきたいです。楽しく、みんなで!! 寂しいけど、いろんな理由で辞めていく人もいるんですよね。でも、逆に音楽をしていることでいろんな人に出会えるし、人を通じてまた出会いがあったりするので、つながりが強い世界でもあるんです。そういうのも大切にしたいです。

【 今後のDASTAMASの行方… 】
— DASTAMAS的には、今後どのように沖縄HIP-HOPのシーンのなかで活動していきますか?
ローメル 以前に比べて柔軟になったというか、一つのトラックに対してこうしよう…って、音に合わせたラップが作れるようになったと思うんです。今はまだ、音楽では食べていけないけど、いつかは音楽で食べていけるようになりたいと思ってるし、レコーディングスタジオもあるので、安い料金で提供したいです。高校生とかでもラップしたいっていう人がいるんですよ。だから、最低限の料金で設定して、もっとヒップホップと馴染める環境を作りたいというか…。沖縄ってやっぱり県外と比べて機材とかが揃っている環境が整ってないんですよ。だから、そういう場を作りたいんです。今回、自分たちも自主のレーベルからアルバムを出してるんで、ほかにもそういうアーティストが増えてほしいです。がんばって仕事をして、お金を貯めればCDを出せるので。
カイラス 今の楽しさが100%としたら、次は120%。そこに達成したら140%、150%…って、どんどん楽しめる環境が広がったらいいと思います。聴いてくれる人、見てくれる人がいて、自分たちは成り立ってるので、アーティストとして身になることをして、相手がいるってことを常に意識していきたいです。とにかく、楽しく活動していきたいです。
ローメル そう、だいたいお金を払ってライブとかに来てもらっているので、お客さんに絶対楽しんでもらいたいんです。もちろん、自分たちも楽しまなければいけないけど。
カイラス あとは、今回のアルバムに参加してくれてるKOBAちゃんみたいにヒップホップに限らず、いろんなジャンルの人と曲をいっぱい作りたいな〜って思います。沖縄民謡やパンク ロッカーの人ともやってみたいし、聴いて楽しいと思ってくれる人がいれば、いろいろ挑戦していきたいです。とにかくいい音楽を作りたいです。
— 例えば半年後、一年後…って考えたときはどうですか?
ローメル ヒップホップのなかにもいろいろスタイルがあるんですが、一年後はもっと全体的にヒップホップが外に出るようになっててほしいし、自分たちも表舞台に立てるようになっていたいです。それをめざしてやってるんで。人の心に届くメッセージをラップしたいです。
カイラス 一年後は正直分からないですね…やってみないと分からないかな。どうなりたいかも分からないかも。でも、たくさんの人に聴いてもらって、一人でも多くの人に聴いてほしいです。
ローメル ヒップホップってえぐい部分もあるけど、街で起こってることとか、社会についてだったりとか、政治についてだったりとか、リアルっていうかタブー的なことをラップしていたりするんですが、本当は素直なものなんです。イメージでいい顔をしない人もいるだろうけど、まずは聴いてみてほしいです。DASTAMASは、潮崎祭とか那覇マラソンなんかの場でライブをすることも多いんですよ。ヒップホップって若い人たちだけが聴く音楽ではなくて、年齢関係なく子どもから年配の人にまで幅広く聴いてほしいし、伝えたいんです。だから、この前ライブをやったときにちっちゃい子がお母さんと一緒に来て、自分たちのCDを買ってくれたときは本当にうれしくて!! 「若手にかっこいいです」って言われることとかをめざしてるんじゃなくて、これがやりたいんだって改めて感じたんです。いろんな人に聴いてもらえてるって思えて、なによりもちっちゃい子が買ってくれたそのことが本当にうれしかったんですよ。トラック(曲)もヒップホップがベースにはなっていますが、最近はテクノとか四つ打ちのラップしたり、三味線取り入れたりしていろいろ挑戦しています。こだわらないところがこだわりです。
— 最後に読者にメッセージをお願いします。

カイロス 音とかに対して変なこだわりを持つんじゃなくて、もっと自分を表に出して、未成年じゃなければクラブとかにも行って、音楽を聴く場を増やしてほしいです。クラブとかで大音量の生の音を聴いてほしいです!!
ローメル 自分たちもがんばるんで、みなさんも何か目標をみつけてがんばってほしいです。そして、CDを聴いてほしいです!!



音楽に対して熱くてまっすぐで、とにかく楽しんでもらうことを追求しているDASTAMAS。ユニット名には肝っ玉、魂という意味があるだけではなく、ローメルによると「男なんだからはずかさーしないで表に出よう」という意味合いも込められているらしい…。確かに話を聞いていても度胸が据わっていて、行く先怖いものなし! という雰囲気をたっぷり醸し出している彼ら。自分たちの音楽に対して誇りを持っている、男前な性格の持ち主であることがよく分かる。それだけではなく、DASTAMASとしての活動の道が危うくなったとき、一枚のアルバムがきっかけで解散することなくチャンスをものにした勝負強さも、どこか自信につながっているのではないだろうか。これ以上のオリジナリティはないのでは? と思わせる、彼らの2ndアルバム『言語CHAMPLOO』は聴く価値あり!!




DASTAMAS



プロフィール
DASTAMAS(ダスタマーズ)。日本語、ウチナーグチ、中国語、スペイン語、英語を巧みに操る、沖縄出身のCY-RUSS(カイラス)と南米ペルー出身のROMEL(ローメル)、二人からなるヒップホップアーティスト。枠にとらわれることなく、貪欲に楽しさを追求する沖縄注目のユニット。




 


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